イーシュヴァラプラニダーナ/神への献身 わかりやすく考えてみる
ヨガ哲学の中の八支則の中のニヤマ(勧んで行うべき事)の中に【イーシュヴァラプラニダーナ】という考え方があります。
これは【神への献身】【神への祈り】という意味。
この言葉だけでは理解しにくく、少し宗教的な感じを思い描いてしまい取り入れずらさを感じてしまう人は少なくないのではないでしょうか?
ヨガは本来、自己への探求の旅を続けるための実践のことで、身体を鍛える・健康になる事は最終の目的ではないんです。
本来あるべき自分になる(何にも捕らわれることなく、自分自身の心を他者に影響されずコントロールする事が出来る安定した心を手に入れる)事が目的で、自身の身の回りの存在する全て(自然、生き物、環境)に感謝と愛を注いでいけるようになる為の修行という名の自己の旅と言われています。
ヨガ哲学の八支則は旅の目的地に向かうための重要な決まり事のことを指し、その決まり事の一つに【イーシュヴァラプラニダーナ】があります。
ヨガはインド発祥です。インドは沢山の神様が存在し、国民の習慣として祈りが生活に根付いている国。
インドの人達はすんなりこの神への献身・祈りの考えは受け入れられるかと思います。
しかし、日本ではあまり祈りの習慣がなく神社へ行く時はイベント事(例えば新年の挨拶、受験や大事な就職活動、安産祈願、七五三など)で一般的にはあまり馴染みはない方が多いのが事実です。
では我々にはヨガの探求がそもそも無理なのでは?
いえ、そうではありません。
《神=見えない存在》
見えない存在は現実味がなく漠然としているので余計に受け入れにくい
その視点を少し変えることが出来れば、すんなり受け入れることが出来ることをヨガの指導者達は説いています。
私たちが生きているこの世界を考えてみてください。
いつもそこには変わらず息を出来る空気があります。
毎日太陽は昇り沈んでいく。
動物たち、植物たちから栄養を頂いてエネルギーに変えることができている。
この日々毎日生きていく為に必要な環境は私達がオギャーと産まれたその時からあるモノで、気づきずらいかもしれませんが、奇跡なんですよね。何一つ欠けても私達は存在出来ていないのに、毎日感謝しながら生活を出来ている人はどのくらいいるでしょうか?
実は私たち人は自然に生かされているのかもしれません。
インドでは水(アーパス)、大地(ダラ)、風(アニラ)、火(アナラ)、光(プラティユーシャ)、太陽神(スーリヤ)などの神がいるともされており、自然=神の存在として崇められていました。
《自然=神》
というと、すこし受け入れられる気がしませんか?
【自然】はサンスクリット語でプラクリティと言います。プラクリティは火・水・土・空気・空間と表現される5つの元素で構成されていて、人間の肉体もこれらの5つの元素からつくられています。
私たちの肉体も常に細胞分裂を繰り返し絶えず変化しているように、自然も常に変化し続けていて無限の可能性さえ感じさせます。
現代社会で数多くの目まぐるしく入ってくる情報に感情を左右されたり、
人間関係、仕事、友人で傷ついたり、怒れたり、悲しんだり心を乱されることも多いかと思います。
そんな時にも変わらずにそこに常にある自然の存在・近くにいる家族や愛する人達に目を向けて、自然の法則(人も自然の一部)なのだという考え方をすることができると
自分本位な考え方からの思い込みからも解放され、本来のブレない本質的な自己に気づけることに繋がっていく。
そうなると
人間関係で悩まされた相手がいたとしても、その人に対しても敵意を向けることなく接する事が出来たり、相手の対応が変わり関係性が良い方へと向かっていくこともあるかもしれません。
ダルマ(自分自身が行うべき行為)を行えると未来の自分の環境すら変える大きな変化を及ぼすとされています。
やはり、他者への要求ばかり強かったり、間違いを許せなかったり、不平不満ばかりを言っていると、この世界自体がダメに思えてきてしまいます。そうではなく、まずは自分の今そのにある大切なモノ・人・環境に目を向けていく事が大切なんだとヨガ哲学は教えてくれている気がします。